2016年4月30日土曜日

終わりゆく四月

早いな。
一週間が早い。
一か月が早い。

2016年4月28日木曜日

ゲーム脳

ゲーム,特にテレビゲームで生じる感情は,
他のものからは得られないのではないか。
どんなに好きな映画・小説・その他のものからも,
ゲームがもたらすものと同じ感情は生じないことに気づいた。
他にあるとすれば唯一,睡眠中に見る夢かな・・・。

もう何年もゲームらしいゲームはやっていないけど,
ふと夢に見ると,感情がよみがえる。
なんとも表現できない素晴らしい感情。
一言で言えばエキサイティング。(笑)
でもちょっと言い足りないな・・・。
どんな言葉にしても合わない感じの高揚。

あれは何なんだろう。
人の中にある何かなのだろうか。
しかもそれは現実ではなく夢やゲームといった,
いわゆる空想世界の疑似体験のようなものでしか得られない。
生きてるって何なんだろうなと思う。

脳みそは何なのだろう。
この世で何がしたいのだろう。
どう進化したいのだろう。

2016年4月26日火曜日

知らぬが平穏

じゃんが神奈川方言だと知ってから,
他の地域の人たちが言っているのを聞くと腹が立つようになってしまった。(笑)
なんか横取りされたような気分。
というかそもそも神奈川発祥ではないのだがねぇ。(笑)
なんでじゃんだけが神奈川弁として有名になったのかねぇ。
今の世の中ではもう方言ではなく全国共通っぽくなっているのだねぇ・・・。
じゃんが神奈川弁だと知らなければこんな気持ちにはきっとならなかったねぇ・・・。

2016年4月22日金曜日

言葉と性格

日本の方言には興味深いことが沢山書かれている。
まだまだ紹介せずにおられない件がある。

先日も書いた,標準語は喧嘩ができない言語だということに関連して,
言葉遣いが人の性質に影響するということがあった。

性格が言葉に影響するのか,言葉が性格に影響するのか。
とりあえず,汚い言葉をつかっていると性格もそのような性質になるのは確からしい。
だからおとなしい標準語をつかうようにすると喧嘩っ早さがおさまるらしい。
(その意味でも喧嘩っ早い東京弁は標準語の文法と発音の土台になっただけなのである。)

逆に言えば,方言には,ある程度の地域民性が見出せることになる。
もちろん同じ方言でも人によって穏やかだったり荒かったり等の違いはある。
けど,文法やアクセント,会話の進め方の特徴などに,地域性が現れる。
これは私が日頃感じていることである。

方言にしろ外国語にしろ,言語同士の相性があると思う。
例えば日本語のアクセントから見たらダダをこねているように聞こえる言語や,
歌っているように聞こえる言語,怒っているように聞こえる言語,偉ぶってるような言語・・・。

同じように方言同士にも相性がある。
言葉の感覚として,相性が良くないのである。
方言に限らず,「あの人の喋り方はいけ好かない」などのような感覚と同じような感覚が,
言語同士にもあるのだと思う。

丁寧な言葉遣いに直すと気性も変わる・・・,
なるほど確かに,標準語を意識していると,迫力がなくて,喧嘩をする気になれない。
喧嘩をするなら方言をひっぱりだしてこなきゃならなくなる。
てやんでぃべらぼうめぃ。
うすらとんかち。
糞野郎。
相当する標準語はありません。
ホームズのように論理的に打ち崩すしかなくなります。
売られた喧嘩を買うことができません。

言葉を変えると性格が変わる。
本当だ。


2016年4月21日木曜日

無知という罪

日本の方言には,
地方から移り住んだ母子が,東京で言葉をからかわれ鉄道に飛び込み自殺した,
という当時の出来事が紹介されていた。(1958年第一刷)

悪意があってもなくても,
からかわれた側はどれほどの気持ちになるか,ということに触れている。
この本には,地方に移り住んだ東京の人が言葉の違いによってのけ者にされている例も紹介されており,
意見が偏らないように配慮しているのは感じられるが,
それでも,地方の言葉を笑う「東京人」への怒りが時折見られる。

東京人は方言を笑うのだろうか?
それは人によりけりだとは思うが,東京でもその他の地方でも,
よその言葉を笑う人はいるのだろう。
方言どころか外国語を笑う人もいるらしいから。

だから私は「東京人」というくくりを付けずに書きたいのだが,(東京には地方出身者も多いのだし)
自分達とは違う言葉に驚き笑い真似てからかうような人達は,無知で馬鹿なのだ。
狭い日本にも様々な言葉がある,ということを知らなかったのだろう。
そして「悪意はない」,などという人達は,そこに悪意があることすら知らない無知さなのだ。
だから私は無知ほど重い罪はない,と思うことがある。

また,ちょっと舌足らずだったり滑らかに発音できない障害があったり,
そういう人達もいるということを知らない人たちが,馬鹿丸出しでここぞとからかうのである。

義務教育のうちに方言にしろうまく喋れない人にしろ様々な人がいるのだ,
とうことを子供たちに教えない学校があるのではないかと思う。
このての道徳教育の質は本当に,子供時代の学校,教師,に左右され,
教わる機会がなく育った子供たちが無知という残酷な人たちになるのではないかと思う。
(確信犯はまた別のケースだと思う)

人の言葉尻をまねる人は時々いるが,会話の上でそれは必要ない。
聞き逃したり,意味がわからず聞き返すのなら会話になるけど,
真似するだけ,なのである。
真似は会話には必要ない。

私はさんざん嫌な思いをしてきたし,
喋り方を真似るとか,言葉尻を真似るとか,口癖を真似るなどといったことはしない。
とにかく言葉に関してはデリケートなものなので,
相手の母国語をけなすのは,相手の故里をけなすこと,相手の人間性そのものを否定することになるからだ。

この本によると,10代前半くらいまでの環境がその人の言語を決定するというデータがある。
それ以降は,身についてしまったアクセントや発音は一生残る傾向とのこと。
つまり意識して標準語を話しても,それは母国語ではない。

また,東京の人は「自分は標準語」と思っているが,東京弁は標準語ではなく東京方言である。
このこともズバッと言っているのでスッキリする本である。
地方の人は東京弁を真似ずに標準語のみを覚えた方が良いのである。

そして,違う言葉の中で長く生活すると希望がもてなくなる気持ちも,
からかわれるからと無口になるのも,私にはよくわかる。
私はそれを東京ではなく地方で経験しているので,
地方の人に「地方人よ,他言語を笑うなかれ」と新聞に投稿したい気持ち。

2016年4月20日水曜日

何々の日

方言かどうかはわからないが,
地元には「○日の日」という言い回しがあるようだ。

義務教育でしつこく間違いと教えられた,日本語として間違った言い方である。
例えば「十日の日」ではなく「十日」,「25日の日」ではなく「25日」と言うのが正しい。

けど,方言は文法が違う場合もあるのだから,
「日本語としておかしい」という指摘は的外れなのかもしれない。

しかし義務教育やその他の学校,又は職場,友人関係などで,
おかしいと指摘されることはなかったのだろうか?

文法と方言の関係は,どうなっていくのだろう。

「方言なんだね」で許されるのはどこまでなんだろうか?

2016年4月17日日曜日

食い物がわからん

野菜・果物・魚などは,オーソドックスなものしか知らない。
というか,一通り食べてきたつもりが,知らないものが沢山あった。

それは別に近年輸入されるようになった外国のもの,
という納得の原因なのではなく,
どうも方言並に地方ごとの食べ物があるようだ。
ネットで調べられる時代になったからこそわかったことだ・・・。

厄介なのが,よそ出身の私が知らないだけで,地元ではオーソドックスな場合。

今日客に聞かれたアレは何だろう,とネットで調べる。
そうそう出回っていない限定野菜だったりすると,
「そんなもん置いてないよなー」と納得。
しかしよく目にする野菜の別名だったりすると,
「げ,自信満々に無いって言っちまったぜ!」と思う反面,
「知らねーよ・・・・・・。」パソコンの前でポツンとたたずむ自分がいる。

わしってすげー無知なんだな,と途方に暮れるものの,
ローカルな食品だとわかると,
なんだそーなのか知らねーや・・・。
と何だか妙な気分になる。

けど,そういうローカルな商品も,最近は全国から輸送されてくる。
ローカルものでも知らなければならない時代になってきたという大変さ。
そんなもの,時給で働いてる人間が夜中にネットでコツコツ調べて睡眠時間が減って割に合わない・・・。

でも客からあからさまに馬鹿にされると腹立つからなー。
多分負けず嫌いなんだな。

しかしそういうマイナーなもんがちんまりしたスーパーにあると思わないでほしいな。
ご自分でネットでお取り寄せ下さい・・・。

2016年4月16日土曜日

日本の方言

この本では福島県と鹿児島県の方言がよく出てきた。
たまたま調査した地域ということのようだけど,
他の地域との交流が難解な地域としてピックアップされている印象を受けた。
それがなぜかといえば,例えば関西弁と呼ばれる言葉は,
難解に聞こえたとしても通じないほどではないらしい。
なぜなら,日本語の50音の発音が大きくは違わないから。
アクセントや文法はかなり違うところはあるけれども,発音は近いらしい。
ところが,鹿児島や福島は発音そのものが違うのだそうだ。
日本語は英語とは違い,アクセントの違いは大きな壁にはならないが,
発音が違うと,通じない。
たとえば『サ行』が『シャ行』のようになるのが鹿児島弁らしい。
福島などの東北弁では『シスの混同』というスターウォーズのような定義が登場する。
前者は先生がしぇんしぇいになり,後者は寿司がすすになる,など。
他にもこういった各地の発音の違いが紹介されていて,
つまり発音の違いは呂律が回っていないのではなく,方言なのかもしれない。

この本でも九州と東北がよく登場したので,
昔は海路で九州と東北の交流が盛んだったという話を思い出した。
だから方言にも共通性があるのだそうだ。
とはいえ九州の言葉を聞く機会はテレビでもあまりなかったので,
どことなくイントネーションにそんな感じがあるかなくらいしかわからなかった。
でも,こういう話題の中に取り上げるのは今は不謹慎なのかもしれないが,
地震の報道で,熊本の方々のインタビューがテレビで流れた。
画面を見ずにいると,東北の番組かな,と勘違いするほど似ていた。

ちなみにこの本には東京の方言も紹介されていた。
「し」と「ひ」の混同だそうで,
あれも滑舌や入れ歯の影響じゃなくて方言だったのかぁと。
「ひ」は言いにくいから,NHKのアナウンサーでも「し」に近くなるんだそうだ。
私も試してみたら確かに「ひ」で大きい声は出しにくい。「ひぇぇ」か「しぇぇ」になりそう。
英語圏の人はどうなんだろう?

この本の内容で気になったことの一つに,「ズーズー弁」という呼び名があった。
東北弁の別名として扱われているのが気になった。
私は山形弁のことだと教わって育ったからである。
山形県上山市から来た人が語尾に「ずー」を付けていて,それがずーずー弁なのだ,と。
実際に「ずー」と言うのがズーズー弁で,他の東北弁では「べ」とかが多く,ずーとは言わない。
山形県でも,地域によって言葉が違うので,上山以外でもずーを使うのかはわからない。
著者さんは名古屋出身だそうで,東北弁は調査で接しただけなのかも?

まだまだ書きたいことがあるがまた今度。

2016年4月15日金曜日

風邪

風邪はなぜデビルウィンドではなくコールドなのか。
そんなことはいいとしてこの冬はやたら風邪をひく。
それも仕事を休むかといえば微妙だがそれなりに辛いレベルの風邪。
けどインフルエンザとは言い難い自覚症状。
ストレスかな~~。

治ってはひき,治ってはひき・・・。

2016年4月12日火曜日

そうだねぇ・・・

ヤフーのニュースに保育園開園断念というのがあった。
地元住民の反対で中止とのこと。

託児所不足が言われてる中でよく中止までもっていったものだなぁと。

私も地元の小学校や保育園が早朝・夜明け前から鳴らす花火はやめてほしいと思っている。
心臓が止まりそうになるから。
苦情はないものなのかなと他力本願中。
あと疲れて寝ている所へワイワイとお散歩が来たりすると・・・つらい。

夜勤の人なんかには特に地獄だと思う。
幹線道路沿いなんかの車の騒音は慣れれば眠れるようになる。
しかし子供がキンキン騒ぎそれに大人(先生)の声が混ざるあのうるささといったらない。
発狂しそうになるのである。

少子化の原因の一つに「近年,子供が嫌われているから」というのはないのだろうか?
なぜ嫌われるようになったのかといえば,しつけがされていない,野放し状態だから。
保育園(の騒音)が社会から嫌われるのだとすれば,
保育園のあり方に問題がないわけでもないように思う。

子供だから騒いでもいい,・・・それはない。
スーパーでも「放し飼い状態」の子供たちの犯罪に等しい行為には迷惑している。
それはつまり保護者であれ学校や保育園であれ誰もしつけないから。
「のびのび育てる」と「野放し」を混同しているのではないか,と疑問に思う。

あんなのを見ていれば,近所に保育園,やめてくれ,という気持ちにもなるだろう。
そういえば昔から「子供禁止」の賃貸物件(アパートなど)もあるし。

私は犬好きだが野犬は怖い。しつけられていない子供も怖い。
子供を叱ると犯罪者扱いされる世の中では,尚更厄介なのである。

ようするに,子供たちや保育園がうとまれるとすれば,
その周りの人たちのせいもあるだろう。
むしろ保育園がきちっとしつけてくれるのであれば大歓迎なのに?

ところでもし幼稚園でも反対されたのだろうか?
どうも保育園のことはよくわからないが,
私の経験では保育園出身の子たちは妙に(悪い意味で)のびのびしていた。
礼儀がないというか。
何をしても許されると思って行動してる気配があった。
なぜだろう?
たまたま?

少子化を問題にするなら子供が好かれる社会,
大人が子供を怖がらなくても良い社会にするようにしなくてはならないのでは・・・。
現状は子供を見ると爆弾が歩き回っているようで怖い・・・。

2016年4月11日月曜日

全国区になった方言

近年,テレビやネットの影響か,誰でも「めっちゃ」「むっちゃ」をつかう。
「じゃん」が全国区になったのと同じ現象が再現されているようで面白い。

こうやって方言が流行のように広まっていくと,
その言葉は方言じゃなくなっていくのかなと思う。

耳鳴りか幻聴か

セミの声,汽車の音,ピー音,蜂や蚊の音など,耳鳴りは様々という。
耳鳴りというより静かな時に聞こえるザーという音もある。

入眠時幻聴というのもある。
これも誰にでもあることで,眠りかけや目覚め際のうとうと状態の時に,
人の声,爆発音,音楽など,音だけの夢のようなものらしい。
半覚醒状態の幻覚として映像が見えることもある。
いわゆる寝ぼけ状態というやつ。
体だけが寝ている金縛りも混ざると知識のない若者は相当怖がる。

私も全部経験がある。
だから,誰にでもあることらしいから。

最近は眠り際に,鈴虫やヒグラシのような音が聞こえる。
最初は「おー,虫の音」と思っていたが,
意識がはっきりしてくると,
「いやまてよ,今冬だぞ」となり,幻聴なのかなと気づいた。

こういう幻聴って,聞き入ってよいものなのかどうかよくわからない。
怖い幻聴なら気にしないようにするが。
心地よい幻聴だと逆にのっとられそうで怖い。(苦笑)

2016年4月8日金曜日

のりこえる歌

のりこえる・・・
今日をのりこえる・・・
毎日そうやって生きている・・・

昨日,なぜ生き物は死ぬのかもやっていた。
合わせて考える。
昔の死ななかった生き物ってどんなだろう。

この世界は何を目指しているのだろう。
良い世の中を目指すなら弱肉強食はいかんと思う。

文化への不満。
この文化を作った人達には生きやすい世の中だろうけど,
多様性。
文化の構成に参加できなかった者たちの性質には合わない。

毎日苦しいのは,そのせい。

2016年4月7日木曜日

外人さんだった

お客さんの言葉が相変わらずよくわからないと思ったら,外人さんだった。
遠目には日本のおっさんと区別ができなかったが,近くで見ると異教徒さんの雰囲気。
(といっても私は自分の宗教すらわからないが。)

それはそうと今日はトピーが飛びましたね。

2016年4月4日月曜日

中まで空洞

バナナの歌,
 いつも中まで空洞,心配はある方だ
に聞こえる・・・。

最近仕事に(というより職場に)行くのが気が重くなってきた・・・。

オレなんでこんな異世界にいるんだろう。

それはそうと西日本言葉のお客さんが現れたんですが,
接客の人が一瞬,「は?」という表情でフリーズしてました。
うん,この反応は,私がよくされる反応と同じだ。
と納得しました。(笑)

2016年4月2日土曜日

孤独

言葉が違うのはこんなに孤独か。
母国語で話せないのは常に頭の中に電圧変換機があるような,
とにかく何かいくつもの何かを経由して言葉のやりとりをしているような感覚。

例えば周りの会話が私にはどう聞こえているかといえば。
隣の部屋のテレビの音,車から漏れてくるラジオの音声,そんな感じである。

特に距離があったり他に雑音があったり,
距離がそんなになくても背後だったりすると,
ごにょごにょにしか聞こえないので悪口を言われたって気づかないだろう。

逆に悪口じゃなくても聞き取れないと悪口かもと勘繰りたくなることもあり,
そういう時は内心つらい。

また,こちらが話したことへの反応が会話になってない時は,
話したことが通じたのか通じてないのかわからず悲しくなる。

聞こえなかったり聞き取れなかったのなら「え」くらいは言ってほしいものだ。
聞こえてないくせに黙って笑ってる時もあるようで,
なんでそういうことをするのかなと思う。

(聞こえてる?と言ったら聞こえない,と言われてじゃあ返事するなよと思ったことがある。
 本当にこの辺りの人はなんでそういうことをするのかなと思う。)